周縁飛行

日に日に半径が増大する極大の遠回り。その記録。

回り道こそ人生


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などと言って、別に至言でも何でもない。

ただの事実である。

人生の最終到達地点は死であり、その間の出来事はすべて寄り道・道草・遠回りに過ぎないからである。最終的に誰でも等しく到達する死というゴールの間の回り道。人生とはそんなもので、だからそれ自体に優劣なんて付けるなんて滑稽も甚だしく、だからこうしてニートをやっている私の人生も、わずか数時間で一生遊んで暮らせるほどの金を稼ぎ出すデイトレーダーや、数々の歴史的記録を塗り替えるスポーツマン、作品が死後百年以上に渡って生き続ける芸術家、世界を変えるほどの発見をする研究者などの人生と本質的に大差ない。同じ回り道なんだから。

あー、よかった、よかった。強く生きよう。

そう思ってみても寂々寥々たる気分が胸の内に広がるのは何故だろう。

というは改めて考えるまでもなく、我々は死ぬために生きているわけではないからである。結果として最終的に死ぬわけだけれど、それを目的に生きているわけではない。

じゃあ、一体何が目的?

といって簡単に答えられるようなものではなく、となれば、この回り道もなるたけ豊かに快適に気分よく過ごしたいと思うのが人情で、そうした場合、先に挙げたような人たちと自分の人生では、そのクオリティは比べるまでもなく、だからこそ悲しみが胸に迫るのである。

逆立ちしても勝てないんじゃ仕方がないので一足先に最終目的地に行ってますね、というわけにもいかず、泣き笑いみたいな顔で自暴自棄に過ごしていたある日、ふと、「ブログ書こう」と思いたった。

一見無価値な日常も、文章として残せば、何となく価値のあるもののように見えてくる。洋の東西を問わず古文書や文献にだって結構どうでもいいことが載っていたりするのだから。この殴り書きもいつしか、貴重な歴史的資料として重宝される日が来るかもしれない。と言いながら、そんな可能性は微塵も考えていない。

とういうわけでブログを開設させていただいた。

自分の記録用の意味合いが強く、内容は雑多で多岐に渡ることだろうけど、どうにかこうにか続けていければと思っている。